
昨今、巷では銚子電鉄(銚電)の経営危機が話題となっており、社長が自らテレビに出て窮状を訴えたり、新聞などでも取り上げれたりしている。
その銚電を訪問したのは、1994年の7月であった。バブルのさなかの1990年に経営権が京成グループの千葉交通から内野屋工務店に移ってしばらくしてからのことで、訪問時にはバブルははじけていた。
しかし、当時「ユネスコ構想」として考えられた駅舎などを見ることができた。
JR銚子駅の銚電乗り場のホームには今は亡きオランダ風車が建っていた。
この時は、トロッコ客車の「澪つくし号」(1985年のNHKの朝ドラにちなむ)が走っていたので、これに乗ることができた。

終点の外川駅についた「澪つくし号」。この時はデハ301号とデハ801号に挟まれて運転されていた。この時期、犬吠駅などの駅が洋風化されたというが、外川駅がそのまま残されたのは良かった。


犬吠駅には元相模鉄道のモニ2022が置かれていた。レストランとして使用されていたらしい。現在は撤去されている。

犬吠駅で出会ったデハ701号。テレビの企画で山田邦子とコラボしたというもので、反対側にはカニが描かれていた。

仲ノ町駅では、名物車輌のデキ3号(1922年独製)、デハ101号(休車中?)、入線したばかりの元営団地下鉄のデハ1002号などを見ることができた。今回紹介した電車たちは、デキ3号を除いて、全て廃車され、その姿を見ることはできない。
今でこそ「ぬれ煎餅」が名物となっているが、この当時は、まだ売られてなく「たい焼き」が有名であった。調べてみると、「ぬれ煎餅」がつくられ始めたのは、訪問の翌年の秋とのことである。
それにしても思うのは、公共交通機関として存続を図るのであれば、私企業に任せるのではなく、都市のインフラとして、公設民営を真剣に考えるべき時期であろう。「自助・共助・公助」というが、「公助」に力を入れるべきである。