JR桑名駅の詩碑
砂利を敷いた中に高さ2mほどの赤御影石に「桑名の夜は暗かった」から始まる最初の6行が彫られており、下部に全文を刻んだプレートがはめ込まれている。
そして「一九三五・八・一二」の日付と「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間の不通のため、臨時関西線を運転す」の注釈があり、末尾に「桑名駅開業100周年記念 一九九四年七月五日」の文字が刻まれている。
前著のよれば、1935(昭和10)年8月11日に、中也の郷里である山口県湯田から妻子を連れて上京する折、関西地方は台風による集中豪雨のため、東海道線の大阪~京都間が不通となり、主要列車は関西線回りで運転された。そして何らかの支障があって、桑名駅に長時間途中停車をしたのであろう。佐藤氏は、中也の乗った列車を中也の日記から小郡10時35分発、東京午前7時10分着の急行8列車と類推されている。
それはともかく、この停車中に感じたことを詩にしたのが「桑名の駅」であろう。「焼き蛤の桑名はここか」と駅長に尋ねたら、「そうだ」と笑っていたという掛け合いは「その手は桑名の焼き蛤」からの連想を確かめたのであろうが、二人の和やかな会話が目に浮かぶ。この当時、駅の周辺は開発が進まず、まだ田園が広がっており、カエルの鳴き声もよく聞こえたと思われる。
詩碑の周りの砂利も詩の一節からとったのであろうが、なかなかよい雰囲気である。せっかくの中原中也の詩碑である。もう少し積極的に存在をPRしてもよいのではなかろうか。
【桑名の驛】
中原 中也
桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ鳴いてゐた
夜更の駅には驛長が
綺麗な砂利を敷き詰めた
プラットホームに只獨り
ランプを持つて立つてゐた
桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ泣いてゐた
焼蛤貝(やきはまぐり)の桑名とは
此処のことかと思つたから
驛長さんに訊ねたら
さうだと云つて笑つてた
桑名の夜は暗かつた
蛙がコロコロ鳴いてゐた
大雨の、霽つた(あがつた)ばかりのその夜は
風もなければ暗かつた